終活事始め

最大の終活は、健康寿命をいかに長く維持し、周りに負担・迷惑をかけない取り組みをすることだと思います。

人が死ぬ前に後悔すること

 ホスピス医の内藤いずみ先生の「人が死ぬ前に後悔すること」という記事がPRESIDENTにありました。


 「死ぬ前」には、ある程度の時間の中で様々な場面があるでしょうが、私は、死に際して必ずしも穏やかに死ねない、特に、最期の言葉で、家族に「ありがとう」という感謝の言葉も言えず、混濁した精神状態の中で、「あらぬこと」を口走ってしまう心配などがあり、このことを昨年の8月28日に「死ぬことについて、そして最期の言葉」として投稿しています。


 意識混濁状態に陥ることは避けられないかもしれませんが、「終わりよければ全て良し」という言葉のとおり、最期を間違うと取り組んだ終活が無為のものになりかねませんし、家族に負の遺産を残すことがないようするため、これからは心穏やかに保つことが第一でしょうし、そのためには「死ぬ前に後悔すること」があってはいけません。


 人は、仕事で成功したり、肩書を得たり、高収入を得たり、欲しい家を買ったりなどの自分の欲求を満たす「一人称の幸せ」は、病気になって否応なく卒業し、それらのものは、死んでしまったら何の意味もないと心の平穏を手に入れるのだそうです。
 そして、人生で本当に大切なのは、家族からの愛情や友人や同僚との友情、仕事相手との信頼関係とか「目に見えないもの」と気付くのだとか。


 そんな当たり前のことは、病気にならなくても分かるように思いますが、そうでない方が多いのでしょうか?


 人生の終わり、人はさまざまなことを学ぶのだそうで、これを「ライフレッスン」と呼ぶようです。
 あまりに遅すぎる気付きであり、学びですね。


 社会的に成功し、物質的に恵まれた生活を送り、他人から羨ましがられるような人ほど、人生の最後を迎えても「自分はこれでよかった」という境地にはたどりつけないのだそうです。
 私などはそうでないから簡単に「自分はこれでよかった」という境地に達してしまうのでしょうか。


 私たちは、「しなければならないこと」に追い立てられ、我慢を強いられて、毎日を楽しめなくなってはいないでしょか?「あと1年で自分の人生が終わるとしたら、それは本当にやる必要があるのだろうか?」と考えて、しなければいけないことに優先順位をつけ、他人に任せたり、手放したりして、自分の時間、大切な人との時間をつくるようにしましょうと提案されています。


 患者さんに、過去を振り返り、自分なりの答えを出す過程で、生きる意味に気付いたり、人生を肯定的にとらえ直すきっかけになるよう「今までの人生で最も思い出深いことは何か」「大切な人に『これだけは伝えておきたいこと』は何か」と問いかけるのだそうです。


 そして、患者さん方の最期の望みは、どれも拍子抜けするほどささやか望みで「いつも通りのことをする」「『ありがとう』を伝えるべき人に伝える」「謝罪すべき人に謝罪する」
などだったそうです。


 コロナ禍の制約が明けて、普段通りの日常の生活のありがたさを実感したばかりですので、病に臨んで「いつも通りのことをする」ことができない不自由さや絶望感などは、十分理解できます。


 「死ぬ前に後悔すること」がないよう、「いつも通りのこと」を大切に、「『ありがとう』を伝えるべき人に伝える」「謝罪すべき人に謝罪する」ことをしておきたいと思います。


 普段の生活で、妻へ「ありがとう」など感謝の言葉を述べているのですが、妻からは「あまりに言い過ぎで、あなたの言葉は軽い」と非難される悲しい思いをしたりするところですが、続けることで人格として定着するよう努めます。