終活事始め

最大の終活は、健康寿命をいかに長く維持し、周りに負担・迷惑をかけない取り組みをすることだと思います。

胃ろうについて

 NHKきょうの健康8月号は、本当に参考になりました。
 既に書いた、「歯周病」だけでなく、「胃ろう」や「人工呼吸器」について解説がありました。


 終活として、エンディングノートを作成していますが、「死ぬまでのこと」、「死んだ後のこと」について、現段階では今後のことがあまりに不確定のため、毎年、修正を行うことにしていますが、特に「死ぬまでのこと」で、終末期にどのような状態かわかりませんが、何らかの医療行為を受けている時について、「病院等(介護施設含む)において医療行為で「生きさせられる」ことは本位ではなく、治療をやめて人生を自然に終わらせたい。体力の限界まで「生きさせられる」延命治療は行わない。延命治療は拒否するが、「痛みの軽減」(「セデーション」を含む。)だけはお願いしたい。痛みを伴う疾病の場合は、当初から苦痛を緩和する医療を受けたい。本人が死を受け入れた場合、家族もその意向を尊重して受け入れてもらいたい。」ということを基軸としています。


 ここでいう「延命治療」ですが、自立への回復の見込みがなく、単に医療行為によって生命活動を引き延ばすことと理解しており、心肺停止状態で胸骨圧迫や人口呼吸器を使用すること、胃ろうによる強制栄養は明確に拒否する旨明記していました。


 胃ろうとは、口から食事をとることが難しくなった場合、胃に直接栄養を送る医療措置で、具体的には、お腹の壁と胃に孔をあけてカテーテルを設置し、このカテーテルを通して胃に栄養を送り込むものです。


 胃ろうについての正しい知識なないまま、胃ろうは延命治療と理解していましたし、高齢者施設で、認知症を発症している入所者に胃ろうをしている状況を見て、絶対、自分は拒否したいと思い込み、胃ろうの一切を拒否するというものでした。


 この号で学んだのは、胃ろうには「救命治療的な胃ろう」と「延命治療的な胃ろう」があることです。
 「救命治療的な胃ろう」の代表的なものとして、脳卒中後の嚥下障害で口から食事をとることが困難になった場合ですが、この場合、嚥下能力の回復は見込まれるので、(選択の機会があっても)胃ろうを希望する人は多いのではないかということです。
 そして、いずれの適応条件においても、4週間以上の生命予後が見込まれる場合であることです。


 注意喚起していることは、アルツハイマー型認知症などで、これ以上の回復が見込めない状態になった時、本人の意向が分からないまま、胃ろうによる人工的な栄養補給が続けられることがあり、これを延命治療的な胃ろうと考える人も多いだろうから、元気なうちに意思表示をしておくべきとしています。


 また、認知症や栄養療法のガイドラインにおいては、人生の最終段階に行われる胃ろうは延命に有用であるというデータは無いため、「医学的には推奨しない」となっているのだとか。


 さらに、元気なうちの意思表示についても、胃ろうを「希望する」「希望しない」だけでなく、どのような状況になった場合に希望するのか・希望しないのかを具体的にしておくことがよく、例えば、「認知症など自分で意思表示が難しくなった状態で、回復する可能性がほとんどないと医学的に判断された場合に胃ろうを(希望する・希望しない)」などとしています。


 久々にスッキリ腑に落ちた説明でした。


 私は、現段階ではエンディングノートの当該部分を「脳卒中後の嚥下障害等で行われる「救命治療的な胃ろう」(意識が回復し自立した生命予後が見込まれる場合)以外の一切の胃ろうは拒否する。」と書き直そうと思っています。
 仮に、半年から1年、生きながらえる見込みがあっても、寝たきりで、何もできずに、判断能力が無ければなおさら、ただ生き長らえるのは耐えられません。


 次は、人工呼吸器について触れてみたいと思います。