終活事始め

最大の終活は、健康寿命をいかに長く維持し、周りに負担・迷惑をかけない取り組みをすることだと思います。

山本文緒「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」を読んで

 ここのところ、“がん”について書くことが多かったですが、きっかけになった近藤誠先生の「がん治療に殺された人、放置して生きのびた人」「がん放置療法のすすめ」や長尾和宏先生の「長尾先生、「「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか?」については、ポイントの部分は付箋をしておいてあるので、妻に、そこだけでも読んでみたらと進めておりました。


 それを読んだ妻から山本文緒さんの「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」が回ってきました。


 山本文緒さんは、妻の好きな作家さんですが、2021年10月13日に膵臓がんのため58歳で永眠されています。
 その死の6か月前の4月にステージ4Bの膵臓がんと診断され、既に治療法はなく(腫瘍の位置が悪く手術はできず、転移していて放射線治療も難しく)、抗がん剤で進行を遅らせるしか手立てがないとされ、臨んだ抗がん剤治療が地獄で、がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほどで、抗がん剤治療は1回で止め緩和ケアに進まれています。


 この日記は、体験記として書かれているのですがが、治療や薬のことをあえて詳しく書かないようにされているので、抗がん剤の副作用がどこまで及んでいるのか、がん特有の症状なのか、他の薬の影響なのか、どのような治療をうけられたのか不明な点も多いのですが、闘病の苦しみや緩和ケアといっても私が考えていたものとは全く異なり、厳しいものであることが分かり認識を改めました。


 まず、驚いたのが、前年の暮ころから胃腸の具合が悪いという自覚症状で、人間ドックの受診後、2月にCT検査や腫瘍マーカー、胃カメラを実施して、「慢性胃炎」と診断されたのが3月上旬で、それでも痛みがとれず、様々な検査を繰り返し、膵臓がんが見つかったことです。
 山本さんは、毎年、人間ドックを受診されており、煙草もお酒も13年前から止めています。
 毎年、人間ドックを受診ていても、発見できず、主訴による検査ではがんが見落とされていることに衝撃を覚えます。
 専門医は、総合医ではないということを改めて思い知らされます。


 山本さんは、主治医に余命を尋ねたところ、余命は半年で、抗がん剤が効けば9か月とセカンドオピニオンでは余命4か月、化学療法が効けば9か月と言われたそうです。
 著書のタイトル120日はここからですね。
 無人島とは、お住まいだった軽井沢のようです。


 緩和ケアといっても、訪問診療の他、大きな病院で、定期的に新しい病状の検査は続け、それには時間がかかり、検査後には問診まで1時間待たされ、体調が悪いときは急患用ベッドの横たわって待つこともあったようで、病院だけで4時間かかっているのは驚きです。
 胆のうのステントの装着もされているようです。
 また、「痛み」「吐き気」「高熱」の症状がひどくて救急搬送されたこともあったようで、その時にも一睡もできないほど検査に次ぐ検査をされたようです。


 印象的だったのは、1か月後の5月には、髪が抜け始めたのですが、その時、「うまく死ねますように」と考え始められていて、この「うまく死ねますように」というのは切なる願いですね。


 痛み止めは診断直後の4月には飲み始めているようでが、「倦怠感」「痛み」「吐き気」「高熱」にさいなまれ、痛み止め、吐き気止め、ステロイドを飲み、抗生剤の点滴を受け、体調が安定するという繰り返しのようです。
 体調が回復すれば、外出もされていますが、長くは続かないようです。
 そして、症状の進行に伴って薬は増え、薬で症状を抑えたり軽くしたりすることが、なかなか上手にはいかず、頓服が増えて、その飲み合わせがちょっとおかしいと体調がでろでろになってしまうとのことで、こんなに苦しまれたことにも衝撃です。
 私など、コロナワクチンの倦怠感だけでも閉口したので、その苦しみは如何ばかりだったことでしょう。


 そして、服のサイズを上げるほどの腹水がお腹にたまり苦しい状態やステロイドによる睡眠障害で不眠時の頓服がイライラを増幅させる状態、血中酸素が数値が低くなり酸素濃縮装置装着する状態が続きます。


 余命宣告の120日目には、投薬効果もあり、とりあえず家の中にいる分には自分でたいていのことはでき、今日明日には死にそうもない状況だったところ、その半月後には、余命は週単位との宣告を受けています。


 さらに驚いたのは、ケアマネと初めて面談したのがその宣告の3日後で、要介護認定の調査はさらにその3日後だったことです。
 なぜという疑問が残ります。


 そして、内服薬を24時間微量の薬が体内に送られるPCAポンプ(注射)に切り替えたり、点滴をしたり、亡くなる半月前には体調不順ながらカップヌードルを食べ、亡くなる10日前に眠いと訴えながら日記断筆しています。


 闘病の様子、苦しさを垣間見させていただき、認識を改めました。
心からご冥福をお祈りいたします。