終活事始め

最大の終活は、健康寿命をいかに長く維持し、周りに負担・迷惑をかけない取り組みをすることだと思います。

はじめに

「終活事始め」と題してブログを始めることにしました。
 現在68歳ですが、60歳くらいから意識していた終活を、66歳の退職後から本格的に始めました。
 昔から、自分の未経験なことは、それに関する書籍で基礎知識を得てきました。
 本を1~2冊読むだけで、自分では何年もかかって習得しなければならないようなコツなどが容易に得られ、仕事上も大いに役立ってきました。
 終活に関する書籍も溢れていますが、新聞広告などで良いと思ったものを、図書館で借りたり、買ったりしています。
 図書館もいいのですが、人気のものは半年待ちになってしまいます。
 その中で、最も感銘しているのは、精神科医の和田秀樹さんの著作で、「70歳の正解」、「70歳が老化の分かれ道」、「80歳の壁」です。
 会社員であったうちは、その会社や仕事を通じて社会と繋がり、社会貢献の一旦も担えているという思いがありましたが、退職後は、十分働いたという思いも強く、喪失感はないものの一定の空白感は否めませんでしたがそれはどうしょうもできないし、今できる社会貢献は、世間の皆さんのご迷惑にならないよう心遣いしながら生活(特に、コロナ禍にあっては医療従事者の方々にご負担をかけないように自粛した生活)することとなどと、今まで「人生」だったものを「余生」として、僅かながらの趣味を糧に、その日その日をただ過ごすのだと思っていました。
 目から鱗だったのは、1960年(昭和35年)の平均寿命は男性65.3歳、女性70.2歳で、男性の定年年齢は55歳だったので、余生は10年しかなかった(連載開始が1947年(昭和22年)の「サザエさん」のお父さん磯野波平は54歳の設定)けれど、寿命が延びて90、100歳まで生きるようなこれからの時代は、いつまでも現役の市民であろうとすること(現役意識を持ち続ける)が、老化を遅らせ、長い晩年を元気に過ごす秘訣だということでした。
 1960年の寿命なら、もうとっくに死んでいる年齢ですが、幸か不幸か寿命は延びているのに、長生きについては考えていませんでした。美人薄命で私は早死にと思っている方は少ないでしょうが、90、100歳になって寝たきりや認知症で周りに迷惑をかけているかもしれない自分に思いを巡らせたことがある方も少ないのではないでしょうか。
 もしかしたらあと30年は生きなくてはならないということになると、健康寿命をいかに長く保って周りに迷惑をかけないようにするかを終活の大命題として考えなくてはならないと思い至りました。
 終活は、老人施設や遺言、葬儀・墓などに限ったものはなく、それらが、残されたものに迷惑をかけないというものが基本であるならば、最大の終活は健康寿命をいかに長く維持し、周りに負担・迷惑をかけないかの方がより重要な取り組みと思い至りました。
 先生は、老後気を付けるべき2つのポイントとして、①活動意欲を維持すること(老化は意欲の低下で加速する)、②運動機能を維持すること(80代以降の機能を決定する)について、栄養や運動など様々な観点から解説されています。
 その維持のため、趣味や遊びだけでは、早晩、飽きるので、働けるうちは働いた方がいい、老いても働いている方が、長生きでき、幸福度も高いというのが基本ですが、いずれにしても「脳の健康寿命」を延ばすことが重要で、「感情を老化させなければ、人は長生きする」、「勉強は最高の脳の健康法」で“脳力”を維持するほど、身心両面に効果的な健康法であるとされます。
 そして、勉強する最終的な目的はアウトプットすることで、話す、教える、文章に書くことを目標にすべきで、先生は、本の執筆を推奨されていますが、ブログでもよいと言われています。
 本となるとハードルが高そうですが、ブログだったら単発で思いを綴ることができそうですし、幾何でも社会と繋がっていそうな感じがするので、「そうだ!ブログをやろう!」と思い立ってしまいました。
 もちろんテーマは「終活」です。
 健康寿命を維持するため、健康寿命を損なったとき、死亡したときの3段階の場面において、書籍から得た知識、それに関する自分自身の思い、自分の取り組みなどを順不同で行ったり来たりしますが書いてみたいと思います。
 毎日となるとストレスになりますので、週1回とか2週に1回で始めてみたいと思います。