終活事始め

最大の終活は、健康寿命をいかに長く維持し、周りに負担・迷惑をかけない取り組みをすることだと思います。

葬儀と陵苑墓について

 前回、宗派には拘らずに陵苑墓を購入したことを書きました。
 私の家系は曹洞宗のようですが、購入した陵苑墓は浄土真宗の寺の運営です。
 特に、宗教に興味がないのに、お寺のしかも家系とは違う宗派の墓苑を買ったことから、宗教と宗派について、思うところを書いてみたいと思います。


 実際自分自身は経験が無いのですが、世界のどこでも宗教を持たない者は軽蔑されると聞いたことがあります。
 日本人には宗教を持たない人が多いですよね。
 私自身、一番身近なのは、葬式、墓、法要やお盆で馴染のあるお寺でしょうか。でも仏教徒ではありません。初詣や各種祈願などのほか神輿では神社に大変お世話になっていますが、神道を信仰している訳ではありません。ついでにクリスマスは楽しみますがキリスト教徒ではありません。
 世界に向けて喧嘩を売ったり、信仰をお持ちの方を侮蔑するつもりは無いですし、信仰の意味も分かって無いのですが、宗教や信仰によってもたらせられた平和や安寧、個人の幸せよりもそれを踏みにじった方や、不和や不安定を招来している方が、より大きいように感じています。
 それは、文明や民族と密接不可分であるのかもしれませんが、異なる宗教間の戦争、同じ宗教でも分れた宗派間・内の争いなどは枚挙に暇がないと思います。
 また、数多くの宗教弾圧の歴史もありますが、来世を信じて現世での苦痛・死を受け入れることは私には理解できません。


 ロシアとウクライナの対立について、世界史の講義や地政学で高名な茂木誠先生は、ロシアはギリシャ正教系の文化にモンゴル帝国系の文化がプラスされた民族で、ウクライナはギリシャ正教系の文化にポーランド系カトリック文化がプラスされた民族であることが根底にあるとされますし、ヨーロッパの難民問題、シリア紛争、アメリカのトランプ旋風など多くの出来事の背景に宗教があるとされています。


 ですから、私は、何れの宗教も信仰したり、信徒となるつもりはないのですが、それぞれの宗教の行事は、前述のように年間の歳時記として定着していますし、葬儀も人生の歳時記の最終頁として長く営み続けられてきており、それには参加しています。
    歳時記の行事は全て経験したい(させたい)ので葬儀をすることには抵抗はありませんでした。
 どういう形かとなると、葬儀も墓もお寺のものの方が馴染があるし、気持ちの座りがいいのです。
 観光で訪れた様々な寺の仏像達に魅せられ、仏のいる空間の安寧さに癒されてもいますし、葬儀の形態としては、一番多く経験してきて、一般的なものとして安心感を覚えるのです。
ということで、葬儀は、仏式で、宗派には拘らないとしました。
 宗派に拘らないということよりも、気に入った陵苑墓の宗派でよいということです。


 私が購入した陵苑墓は浄土真宗で、本山が京都東本願寺なので、伺ってみました。
 HPに詳しいですが、この地は、1602年徳川家康が寺地を寄進したのが始まりで、江戸時代の4度の火災で焼失し、現在は、明治時代の再建ですが、全国の門徒のご懇念により、全て門徒の手により建造されたものなのだそうです。


 驚いたことは3つ
 1つは、建築物の規模と豪華さ
 2つは、阿弥陀仏(阿弥陀堂)より開祖親鸞聖人(御影堂)方が上位?ということ
 3つは、門徒の方々の信仰心


 阿弥陀堂は、間口52m、奥行47m、高さ29m
  内陣本間は一面の金箔で、中央に本尊の阿弥陀如来像を安置
 御影堂は、間口76m、奥行58m、高さ38m
  建築総面積は世界最大級の木造建築で、奈良の東大寺大仏殿を上回る
  堂内の中央の須弥壇の上に「御厨子」を置き 宗祖親鸞聖人の坐像「御真影(ごしん
 ねい)」を安置 お寺の案内にも真宗大谷派の崇敬の中心をなすと書かれています。
 畳敷き 内陣を含め927畳 3000人が座れる
 阿弥陀堂も御影堂も専用の需要文化財の門を有し、建物内部は太い柱に支えられた畳敷きで、建物周りや渡り廊下の床板の厚さは印象に残ります。


 阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂より開祖を祀る御影堂の方が中央に位置し、大きいのです。
 私が伺った7月の朝の“晨朝勤行”の読経は、6時50分から7時までが阿弥陀堂、7時から7時30分までが御影堂、その後、御影堂で法話というものでした。
 お経の長さ・重きも御影堂が長いのは、仕組みが分からないので不思議でした。
僧侶は7名でしたが、一般の方は7~12名と意外と少ないです。浅草の浅草寺の朝の賑わいと比べて、寂しいですね。


 阿弥陀堂と御影堂の間の渡り廊下には“毛綱”が展示されています。長さ69m、太さ30cm、重さ375kgなのだそうです。
 “毛綱”とは、堂宇を再建する際、巨大の木材運搬では従来の綱では切れてしまうので、麻と信徒の髪の毛を寄り合わせて太い綱としたもので、現在53本残っていて最大のものは1tにも及ぶそうです。
 また、信州や越後での木材搬出に使った“ 大橇(おおぞり)” やこの作業中に雪崩に遭
遇し27名が亡くなった現場を再現したジオラマも展示されていて、全国の門徒は命がけ
で資材を届けたことが伝えられています。
 この「命がけ」というのは、私は好きではありません。


 驚いたことの2つ目「阿弥陀仏(阿弥陀堂)より開祖親鸞聖人(御影堂)方が上位?ということ」について、見てみると、西本願寺も阿弥陀堂より御影堂の方が大きく、外陣の畳は285枚と441枚、一度に参拝可能な人数800名以上と1,200名以上などの差もあります。


 親鸞聖人が師事した法然上人の入寂の遺跡に立つ浄土宗総本山知恩院もそうですね。
 三門には釈迦如来像で、本堂にあたる御影堂は法然上人の像を安置し、阿弥陀如来立像は東脇壇に置かれています。
 阿弥陀堂もあり、その本尊は阿弥陀如来坐像ですが、法然上人終焉の地に立つ勢至堂の本尊は勢至菩薩坐像です。


 形態は違いますが、高野山では、奥之院に弘法大師御廟があり、大師信仰の聖地となっていて、入定信仰により、今でもこちらであらゆる人を救い続けていると信じられています。比叡山は“不滅の法灯”が灯り、これは“最澄の灯り”そのものでしょうか、最澄のご廟所の浄土院は比叡山で最も清浄な聖域とされています。


 個人崇拝はあまり好きではないので、弘法大師であれば、京都の東寺の御影堂のような位置がしっくりきます。もちろん、こちらでも高野山同様の生身供は行われています。


 法隆寺の本尊の釈迦三尊や夢殿の救世観音像は、聖徳太子の等身大で太子の姿を後世に伝えようとしたものだとされ、聖徳太子信仰そのものですが、それはそれで許容できるのは支離滅裂なのでしょうか?


 南無大師遍照金剛の大師信仰もそうかもしれませんが、開祖を信仰するのは当然のことなのでしょうか?でも、浄土真宗は南無阿弥陀仏なので阿弥陀如来が中心の方がしっくりくるのですが…。


 私の陵苑墓の寺の本尊はもちろん阿弥陀如来なので余計なことでした。


東本願寺御影堂